
谷口裕和×曽爾テラワキ
【出演時間】12:00 - 12:20
谷口裕和(舞踊家)
昭和52年、飛騨高山生まれ。
高山市内で古くから料亭を営む環境に育ち、幼少の頃より日本舞踊への憧れを抱きながら、舞踊家を強く志す。
西川流にて手ほどきを受け、長唄「雨の五郎」で初舞台を踏む。
15歳で上京、人間国宝 西川流十世宗家・西川扇藏師の元、内弟子として修業。
19歳の時、舞踊家であり歌舞伎振付師である梅津貴昶師に出会い、梅津流へ入門。
20歳で梅津流師範『梅津貴之助』を襲名。
国立劇場にて、荻江「鐘の岬」の舞台を踏む。
その後、梅津流師範として、数多くの歌舞伎舞踊の振付に携わる。
23歳で、国立劇場に於いて、歌舞伎舞踊の集大成とも言える長唄「京鹿子娘道成寺」を素踊り(黒紋付・袴)で踊る。
評論家・草柳大蔵氏は、著書『生命を燃やしております』の中で、
『貴之助君の舞いは真面目そのもので、
あれほど手数の多い所作をよくぞこなしたものよと、前途に大きな期待を持たせた。
ここが大事なところで、「いまどきの若者は」という表現がオクビにも出しかねるほど、
「型」が立派に出来上がっているのである。』
と 述べ、その実力と類まれな表現力を高く評価している。
曽爾テラワキ(音楽家)
幼少の頃よりピアノをはじめ、音楽家としての道を描きだす。
1999年より、オーストラリアの先住民族アボリジニの風笛『イダキ』(ディジュリドゥ)と出会い、自作の竹イダキで路上パフォーマンスを繰り返す。オーストラリア北東アーネムランドの長老、ジャルー・グルウィウィ氏と、その息子ラリー・グルウィウィの両氏に師事。正式なアドプトを受け、家族として迎えられた数少ない日本人のひとり。
一方、旅する楽団『せいかつサーカス』の一員として、イダキ以外の楽器も操り、フジロックフェスティバルや、ロックオンザロックなど、全国のイベントを行脚。
2014年、飛騨高山にて音のプロデュースチーム『ヒダキ・サポーマンス』を開始。
現在は浅野温子氏の『古事記読み語り』企画の専属ミュージシャンや、ソロとしても活動中。本名、寺脇由訓(てらわきよしのり)の愛称yossyとして、子ども達からも親しまれている。